小説は繰り返し読むもの。

ナボコフの文学講義』ウラジミール・ナボコフ
20160405-01

「ひとは書物を読むことはできない、ただ再読することができるだけだ」

作家ウラジミール・ナボコフの言葉です。

最近、新しい小説を読んだら、もう一度初めから読みなおすようにしています。

わたしは、せっかちで初読の時は、その後の展開が気になって小説を味わうような余裕のある読み方ができないのですが、二回目のときは、話しの筋はもうわかっているので、焦らずに小説を読むことができます。そうすると、一回目のときには、気付かなかった細かな描写を味わったり、作者がどういうふうに作品を構成しているのかとか考えることができて、より小説を愉しむことができます。

ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル(通称タマフル)というラジオ番組に「ムービー・ウォッチメン」(旧シネマ・ハスラー)という映画評論コーナーがあって、毎週、楽しみに聴いています。

パーソナリティの宇多丸さんが映画評をするのですが、宇多丸さんは同じ映画を2~3回観てから映画を評論します。初見だと見逃してしまうこと、繰り返し観ないとわからないことがあるからです。

小説も同じです。

小説はひとつひとつの作品がそれぞれの世界を持っていて、初読のときには、その世界に馴染むのにどうしても時間がかかります。繰り返し読むことで初めて読者はその作品世界の住人になって、作品を愉しむことができます。

読みたい本が溜まっているときなど、なかなか次の本へと進めないジレンマはありますが、繰り返し読むと、必ず一度目のときには、気付かなかった発見があるのでお薦めです。

先に引用したナボコフの言葉は『ナボコフの文学講義』の「良き読者と良き作家」という文章の中に出てきます。