『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んでいたら、『ユリシーズ』を連想した。

これって何かに似ていると思いながら『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んでいました。

で、いき着いた答えは、「『ユリシーズ』に似ている」でした。

『キャッチャー~』は、高校を退学処分になった主人公ホールデン・コールフィールドがニュー・ヨークの街を右往左往する3日間のできごとがコールフィールドの回想というかたちで、時系列に語られます。ニューヨーク駅や、セントラル・パーク、ホールデンが泊まるホテルや、バーなどの具体的な地名や固有名詞がたくさん出てきます。読んでいて、コールフィールドの眼を通してニュー・ヨークの街を歩いている気分を味わうことができます。

一方の『ユリシーズ』は、ダブリンに住む主人公レオポルド・ブルームの朝起きてから、夜帰宅するまでの一日の行動が克明に時に実験的手法を用いながら語られています。

なぜ、『キャッチャー~』を読みながら、『ユリシーズ』のことを連想したかというと、これはニュー・ヨークの地図を片手に読んだら面白そうと思ったからです。集英社から出ている『ユリシーズ』は、小説に登場する『ダブリン』の地図が掲載されていて、ブルームの行動を地図で確認しながら、読み進めることができますが、『キャッチャー~』も地図でコールフィールドの行動を確認しながら読んだら楽しそうです。次回、再読するときには、ニュー・ヨーク地図をプリントアウトしたのを用意して読んでみたいと思います。

あと、『キャッチャー~』では、コールフィールドの赤いハンチング帽が小道具として登場して、その所在がことあるごとに綴られますが、『ユリシーズ』でもブルームの食べかけのパンのカケラ(だったと思う)の所在がことあるごとに描写されるところも何だか似てるなぁ、と思いながら読んでました。

しかし、何より両者に共通するのは、主人公の無垢なものへの気持ちです。

コールフィールドが、妹フィービーや、死んでしまった弟アリーの無垢さに「やられてる」様子が『キャッチャー~』では、何度も描かれていて、こっちも読んでいてちょっと胸が締めつけられる気持ちになるのですが、『ユリシーズ』でもブルームが離れて暮す娘のことを気にしている様子が描かれていて、やはり読んでてグッとくるんですよ。小さきものへの愛というか。

ここまで書いてきて、『ユリシーズ』を再読したくなってきましたが、『ユリシーズ』のボリュームを考えると尻込みしてしまうのが、辛いところです。でも、いつか『キャッチャー~』のことを頭の片隅に置きながら、『ユリシーズ』も読み返したいと思ってます。